藤村 樹 ブログ限定小説『旧・手術室の扉を開けてはいけない』工程7 十二指腸切除

小説

院長室

 黒石病院がある奥磨市は、周囲の市町村が統合されて30年程前に区画されたものだ。奥磨市の前身であった奥磨群は、元々は山間の金鉱から鉄鋼が採掘され、山間から平野に向かって開拓が進んだ地域であった。奥磨群でのみ採掘される『奥磨鋼(おうまこう)』は希少であったが価値が高く、奥磨群では医療器械の素材として使われることもあった。そんな奥磨群に古くから根付き、代々医師を輩出していた名家が黒石家だった。家族ぐるみで黒石病院を設立して経営し、地域住民からあがめ奉られていた。しかし、黒石家には隠されたもう一つの側面があった――。

「黒石家は代々医師であると共に、奥磨群の()鎮守(ちんもり)でもあったんだ。『奥磨』は元々、『逢魔(おうま)』の字から転じたものだった。奥州の山々には魔が住むと言われ、それは物の怪とも怪異ともつかぬものだったが、土着の神として地域の信仰の対象となっていった。『奥磨鋼』に破魔の力があるとされたのも、そういった民俗信仰が背景にあったのだろう」

 古代には病気は神や怪異によるものと信じられており、医学と地域信仰には密接な関係があった。代々黒石家は医師・病院経営者としての表の側面と、土着の民俗信仰の神主としての裏の側面を長きにわたって兼ね備えていたのだ。そして黒石家の前当主であり、黒石病院の前院長であったのが、黒石郷志の父、黒石(くろいし)(ごう)三郎(さぶろう)だった。

「父は紛れもなく優秀な医師で、当時の地域の医療を支えていた。だが、医師としての側面以上に、地鎮守としての使命を全うすることに強い義務感を持っていたようだった。黒石家は代々伝わる御神木を守るとともに、秘密裡に山の神を鎮めるためにある儀式を執り行っていた……」

 10年に1度、8月の新月の夜は『逢魔(おうま)(どき)』、すなわち『大禍(おおまが)(どき)』とされていた。『大禍時』には山々の荒神を鎮めるべく山に住む獣の血を御神木に捧げていた。つまり、数多の獣を殺し、御神木の一部である『御神体』に獣の血を吸わせていたのだ。

60年前 大禍時

 黒石院長も8歳の時に父・郷三郎が取り仕切る儀式に参列したことがあるという。60年前の『大禍時』の夜、黒石家が保有する社に黒石家一同と奥磨群の重鎮10人余りが一堂に会した。儀式の参列者は皆、獣を象った仮面で顔を覆い隠していた。社の内部は篝火の火が赤く妖しく揺らめき、異様な香の香りが立ち篭めていた。郷三郎は神主として密教のような祝詞を唱えながら、狐や鹿などの首を生きたまま刃で次々と掻き切っていき、『御神体』に生き血を浴びせていった。御神体の幹には虚ろがあり、まるで獣達の生き血を啜っているかのように血液を吸い込んでいった。

「父は私が成人する前に亡くなったから、私は儀式には一度しか参列していない。父は普段から厳格な人だったが、儀式を執り行っている時の父は別人のようだった。まるで、山の神そのものに憑りつかれているかのようだった」

 誠司と詩穂は愕然として、黒石院長の話に聞き入っていた。詩穂が怖々と院長に訊ねる。

「それでは、黒石先生は今もその儀式を続けているんですか?」

「いや、私が鎮守の仕事を受け継ぐ前に父は亡くなってしまったからね。母も早くに亡くなっていて、一族は私と姉だけだったから、鎮守としての役割は途絶えてしまったんだ」

「先生に、お姉さんがいたんですか!?」

「ああ、姉は当時すでに医師として黒石病院に勤めていた」

「お姉さんは今、どちらで勤めていらっしゃるんですか」

  誠司も訊ねる。

「姉は死んだよ。父と同じ日にね」

 誠司と詩穂は再び絶句した。

50年前 大禍時

 前回の儀式から10年の月日が経ち、50年前の『大禍時』を迎える日、当時学生だった黒石院長が夕方家に帰っても、父も姉もいなかった。一向に誰も帰ってくる気配がなく、不思議に思った院長が病院に行くと、病院の職員達は皆取り乱し、騒然となっていた。院長が手術室に行くと、病院に勤めていた男性医師1人と、父・黒石郷三郎が鋭利な刃物で全身を切り刻まれ遺体で発見されていた。そして、2人の遺体の傍らに姉がメスを胸に突き立てられて亡くなっていた。手術室の壁はどの面にも夥しい量の血が浴びせかけられていた。その部屋が、現在も残されている例の旧・手術室だった。

 姉の名前は、『黒石(くろいし)()()』といった。

 当時の警察の捜査では病院の外部の人間で容疑者らしき人物を特定することはできなかった。遺体の状況から宵深が同僚と父を殺害した後に自害した可能性はあったが、関係者の証言からはそのような異常な犯行を起こす宵深の人間像は浮かばず、結局事件の真相は闇のままとなった。当時の田舎の地方警察ではろくな科学捜査を行うこともできず、黒石家を崇拝していた地域住民の反対もあり、捜査はすぐに打ち切りとなった。

 一度に家族を失い、天涯孤独となった黒石院長は故郷の奥磨群を出て血縁の薄い、遥か遠くの親戚に引き取られることとなった。突然に家族を襲った非業の死に、当時の黒石院長は自殺することも考える程打ちのめされていた。時の経過と共に平静を取り戻し、元々志していた医師を目指すこととした。しかし、遠方に住んでいた黒石院長の元には不穏な噂が届いていたという。

「廃病院になった黒石病院の近辺で人間が全身を切り刻まれて殺害される事件が立て続けに起こっていたらしい。地鎮守としての黒石家に縁の深かった奥磨群の地域幹部達も皆殺されてしまったということは後から聞いた話だ。事件はやがて自然に終息していったが、当時の警察には手に負えなかった。一人、敏腕の刑事が執念深く捜査していたが、その刑事も捜査の途中で何者かに殺害されてしまったらしい」

 誠司と詩穂が目を見合わせる。もしかして、志賀野の祖父のことだろうか。

 やがて、医師となり奥磨市に戻ってきた黒石院長は残された莫大な遺産を元手にして、黒石病院を再度開業させることとした。医療過疎地であった奥磨群では、経営はたちまち軌道に乗り、数年でかつての威光を取り戻すこととなった。地域の基幹病院として成長・発展し、経営規模の拡大に伴い、現在の病棟や手術室も増築され、全く新しい病院として生まれ変わった。

「でも、どうしてそんな忌まわしい事件のあった旧・手術室を残しておいたんですか?」

 詩穂が思い浮かんだ疑問を口にする。黒石院長が答える。

「壊したくても、壊せなかったんだよ。あの部屋を取り壊そうとすると、次々と工事関係者が建設現場で事故に巻き込まれ、重症者が出た。止むを得ず、旧・手術室をそのまま残す形として新たな手術室を建て増ししたんだ。あの旧・手術室にはやはり何か呪いのようなものがかけられているとしか思えなかった。だから、扉が二度と開かれることがないよう、封鎖し続けていたんだ」

 地域住民の支えもあり、再建後の黒石病院は順調に経営が進み、現在の規模まで拡大していった。黒石院長は医師として日々地域の医療の発展のため尽力していた。しかし、黒石病院の暗黒の秘密を抱え込んでいた院長は所帯を持つ気になれず、生涯独身を貫くこととなった。

「この病院に、そんな過去が……」

 詩穂は自分が医師としての基礎を学んだ病院にとんでもない秘密があったことにショックを受けていた。誠司が続ける。

「でも院長、今回の事件と黒石病院の歴史との関係って……。まさか、先生のお姉さんの亡霊が、血染めの白衣の女として人を殺し続けているとでも言うんですか?」

「……残念ながら、その通りだよ。桐生君」

 院長が、重々しくうなずく。

「昔から院内を白衣を着た女がさまよっているという噂があることは私も聞いていた。その外見は亡くなった姉の姿を連想するものであったが、私自身は目撃したことがなかったから、信じていなかった。しかし、今回の一連の事件と、昨日の桐生君の話を聞いて私は疑いを深めていった。いまだに信じられないが、亡くなった姉と血染めの女には、深い関係があるに違いない。50年の時を経て、何故今になって悪霊と化して人間を殺してまわっているのかは全く分からんが……」

「そんな……」

 詩穂が両手で口元を覆う。

 院長は首を振り、独り言のように呟く。

「私は新たな病院を一から作り直すことで、家族が凄惨な死を遂げたという過去を塗り替えたかったんだ。……だが、それはやはり間違いだったのかもしれん」

 全てを話し終えると、黒石院長はうつむいた。より一層疲れ、やつれているように見えた。暫くうつむいたまま黙り込んでいたが、ため息を漏らし、やがてまた話を続ける。

「この病院はもうお終まいだ。この年齢だ、私もいつ死ぬことになっても構わん。だが……」

 黒石院長の眼は光を失っていなかった。

「残された患者達をこのまま死なせるわけにはいかん。そして君達、医療スタッフもだ」

 黒石院長は顔を上げ、誠司と詩穂に問いかける。

「君たちに頼みがある。私の生家を調べてきてくれないか。父と、姉と暮らしていた家だ。2人が死んでから家にはほとんど戻っていないから、ほぼ当時の状態のままだ。何か事件解決の手がかりが見つかるかもしれない。私は病院長としてこの病院を離れるわけにはいかない」

「僕達が行くのは問題ありません。でも、どうして僕達にこんなことを頼むんですか?それにこんな黒石家の重大な秘密まで話してくださるなんて……」

 誠司が訊ねる。

「私の生家を調べることで今回の事件に関係する手がかりが見つかる保証は何もない。警察には頼めん。そして何より……」

 黒石院長は誠司と詩穂の目を見つめる。

「君達を信頼しているからだ。君達は今回の事件が起こってから、恐れを抱きながらも精一杯患者を守るために動き続けていた。それに、外科医として君達と一緒に数々の手術をこなしてきた。君達の人となりはよく分かっているつもりだ」

「……」

 黒石院長の話を聞いていた誠司と誌穂は互いに見合わせ、2人の気持ちが同じであることを確認する。詩穂は黒石院長の真摯な眼差しを見つめ返した。

「黒石先生、私と誠司君で行ってきます。私達に何かできることがあるか、分からないですけど……」

 黒石院長が微笑む。

「ありがとう。君達を部下に持って、本当に誇りに思うよ」

誠司と詩穂の退室後

 誠司と詩穂が退室した後、黒石院長は独り院長室のデスクにかけたまま想いに耽っていた。

「姉さん、何故こんなことに……」

 黒石院長は椅子から立ち上がり、デスクの後ろにある窓際に立つ。記憶の中にある姉・黒石宵深は若く美しく、理知的だった。朗らかで、いつも周囲の人々に翳りひとつない笑みを浮かべてみせていた。外科医としての道を歩み始めたばかりであり、亡くなった時は死に装束のような白い手術着を着ていた。メスの刺さった傷から噴き出した宵深自身の血によって白衣が紅く染まり、蒼白になっていた姉の死に顔が忘れられない。そして、その傍らで全身を切り刻まれ恐ろしい形相で事切れていた父・郷三郎の姿も……。

 だが、黒石院長の中で、外見こそ血染めの白衣の女と姉・宵深はよく一致するものの、虫けらのごとく人間を惨殺していくという血染めの女の姿と、何一つ影のない往年の姉の姿を結びつけることが、どうしてもできなかった。

 誠司と詩穂が自分の生家に行き、何か事件解決の手がかりを見つけてくれることを信じるしかないことを歯痒く思う。窓の外の暗闇を見つめ、更に考えに耽る。そういえば、最初の事件、瀧田が死んだ日の夜も8月の新月の夜だった――。

 その時、黒石は窓に映り込んだ自分の背後に白い服を着た女が立っていることに気付く。黒石が振り返ると、そこには血染めの白衣をまとった、当時の姿のままの黒石宵深が立っていた。黒石は目を見開く。

「姉――」

 次の瞬間、黒石郷志の胴体は上下に分かたれていた。

工程8に進む

工程6に戻る

———————————————————————————————————————————–

小説『朝陽のぼるこの丘で -ふね、とり、うま-』発売中です。よろしければどうぞお楽しみください。

以下、販売サイトへのリンクです。

コメント

  1. […] 工程7に進む […]

  2. […] […]