藤村 樹 ブログ限定小説『旧・手術室の扉を開けてはいけない』工程3 胃切除

小説

手術部

 旧・手術室で惨殺死体が発見され、すぐに警察によって手術部は立ち入り禁止となった。ただし現在手術中で、途中で切り上げることのできない部屋は手術の終了まで待つこととなった。

 手術部を出入りする人間は全員、手術部の入口付近にあるナースステーションや看護師の休憩室に集められた。皆、不安そうな表情を浮かべている。

 職員がぎゅうぎゅう詰めの部屋の中で待機していると、やがて数人の部下を引き連れて1人の警察官が入ってきた。その警察官は手術部の職員達が見渡せる場所に立ち、話を始めた。

「狭い所でお待たせしてしまい、申し訳ありません。私は今回の事件を取り仕切る秋田県警捜査一課の志賀(しが)()(なお)()と申します」

 志賀野と名乗る男は長身で、着古した薄手のトレンチコートという、如何にも刑事といった出で立ちをしていた。ややウェーブのかかった長めの髪を無造作に崩した髪型が不良中年のような印象を与えていたが、精悍な顔立ちによく似合っていた。年齢は30代半ばから、40代前半といった所だろう。志賀野は外見の印象に似合わず、丁寧な口調で話を続ける。

「遺体の損壊が激しく、身元の特定は困難ですが、現場に落ちていたネームプレートから遺体は医師の瀧田(たきた)(ゆき)(やす)氏のものと思われます」

 手術部職員達がどよめく。外科医の瀧田は、当然手術部職員達もよく見知った人間だ。

「そんな……!」

 旧・手術室の惨状を目撃してからずっと泣き続けていた詩穂が、更に眼に涙を溢れさせ、両手で口元を覆う。誠司も愕然としている。外科医として勤務している誠司と詩穂にとって、瀧田は職場の上司ということになる。瀧田はいかにも外科医らしい豪快な性格の持ち主だったが、実直な人柄で、優秀な手術の技能を持っていた。

 志賀野は、どよめきが治まるまで少し間を置いてから、話を続けた。

「遺体の状態から、自殺ということは到底考えられません。明らかに瀧田氏の死亡に深く関与する人間の介入があったものと思われます」

 志賀野は更に間を置き、静かに、しかし力強く宣言した。

「……つまり今回の事件は、殺人事件が疑われるということです」

 再度、部屋の中にどよめきが起こる。職員達は皆、困惑していた。

「被害者との関係性や、犯行現場の特殊性を考えれば、あなた達はこの事件の重要参考人ということになる。早速ですが、事件に関する事情聴取を始めさせてもらいます。事情聴取を終えるまでは、許可なくこの部屋を出ないように」

 志賀野は丁寧だった口調からわずかに語気を強め、鋭い眼光で静かに凄む。並みの犯罪者ならばたちどころに罪を告白してしまうような迫力があった。どよめきは鎮まり、部屋の中はすっかり静かになってしまった。

面談室

 事情聴取の場所には、患者家族を呼んで術後説明をするための面談室が選ばれた。手術部に隣接しており、手術部の中からも、外の廊下からも入れるようにドアが2箇所ついていた。両腕いっぱい伸ばせる程の広さの小部屋で、長机1つと数個の椅子が並べられていた。まさしく『取調室』に相応しい部屋だった。

 入院病棟での仕事も残っているため、医師から優先的に事情聴取は進められていった。十人程の医師が事情聴取を受けた後、誠司の番となった。

 所持品検査を受けた後、誠司が面談室に招き入れられ、手術部側の入り口から入室する。志賀野が、誠司と反対側にある椅子に座っている。誠司の後ろに1人と、志賀野の後ろに1人、部下の警察官が立っている。志賀野の方からわずかに煙草の匂いが香り、喫煙者だと分かる。

「どうぞ」

 志賀野に導かれるまま、誠司は椅子に腰掛ける。最初に名前と生年月日、病院での所属を確認される。

「桐生誠司さん、あなたは遺体発見時に居合わせていたそうですね。遺体が発見されるまでの間、つまり今日の午前中は何をされていましたか?」

「今日は、朝一番に胃切除手術の第2助手に入っていました。執刀は朱崎先生、第1助手は黒石院長でした。手術が終わった後は、朱崎先生とずっと一緒に行動していました。次の手術のために手術部に戻ってきた所で、旧・手術室の前に人だかりができているのに気付きました。扉の隙間から血液のようなものが流れ出ていたので、数人で力を合わせて扉を開けました」

 誠司は午前中の行動を振り返る。

「なるほど、出勤してからは、常に誰かと一緒に行動していたということですね。出勤は何時頃ですか?」

「7時半頃です」

「早いですね」

「入院している患者さんの傷の処置や、その日の指示出しをしなければならないので……。大体いつも同じ時間です」

「出勤は誰かと一緒でしたか?」

「いえ、いつも出勤は一人です」

 志賀野は誠司の話を聞きながら、メモを取っている。 

「それでは、あなたと瀧田幸保先生とのご関係は?」

「同じ外科に所属する、職場の上司です。よく手術の第1助手に入っていただき、直接ご指導を受けていました」

「瀧田先生とは日頃から深いつながりがあった、ということですね。それでは、瀧田先生が、誰かに恨みを買っていたとか、最近身の周りに不審な出来事があったとか、何かそういった話はありませんでしたか?」

「そのような話を聞いたことはありません。確かに指導は厳しかったですが、それは僕達、後輩を想ってのことでした。僕のような若手の部下にも、本当に良くしてくださっていたんです」

 誠司は心から思っていることを伝える。嘘などない、掛け値なしの本音であった。

「誰かの恨みを買うような人ではなかったということですね。……ところで」

 志賀野から発せられる空気が、突如として変わる。

「遺体は非常に鋭い刃物で全身を切り刻まれていたようです。そう、まるでメスで切り刻まれたかのような。あなたも外科医として経験を積んでいたということは、一般の方よりも刃物の扱いに慣れているということですね?」

 志賀野の眼光が鋭さを増す。志賀野の眼に宿るのは、まさしく真実を見通す鷹の眼光であった。誠司は後ろめたいことなどなかったが、思わず動揺し、口籠ってしまう。

「そ、それはそうかもしれないですけど……。あくまで手術中のことで、動いてる人間を傷つけるようなトレーニングなんか積んでませんよ」

「……それは、その通りですね」

 誠司の振る舞いをじっくり観察した後、志賀野は視線を外す。どうやら志賀野の中では、誠司は容疑者から外れたようだった。

 その他、細々したことを何点か聞かれた後、誠司は開放された。

 長い時間をかけ、手術部スタッフの事情聴取が終わった。志賀野の部下が、志賀野に話しかける。

「志賀野警部、疑わしい人物はいましたか?」

「いや、俺が聴取した奴らの中で、怪しい人間はいなかった。……この中に、犯人はいないんじゃないかな」

 志賀野が、聴取した職員のリストを眺めながら答える。もう1人の部下も、興奮気味に話しかける。

「でも、病院の中でこれだけ派手な犯行を行うんだから、どう考えても異常犯です。すぐに、容疑者は絞れそうですよね」

「ああ、そうだな……」

 志賀野は何かを考え込むように、指で机をコツ、コツ、と叩く。

 果たして、本当にそうだろうか? 今回の事件は通常の殺人事件では起こり得ない、何かとんでもない事件に発展するのではないだろうか。志賀野は言い知れぬ不安に襲われていた。

 志賀野は部下と共に面談室を出ると、旧・手術室の前に戻る。

旧・手術室

 旧・手術室の中は新しい方の手術室と同様に5メートル四方くらいの広さで、壁は深緑色を基調とした色合いだが、どの壁面にも返り血と細かい肉片が貼りついてこびりついている。現在のような清掃機械がない時代にできたものなので、流水で丸洗いできるように床はタイル張りで、排水溝がついている。壁の金属棚には昔使われていた鋏や鑷子(せっし)(ピンセット)などの手術器具が大量に放置されており、どの器具も錆びついている。天井にある無影灯も、形が洗練されておらず、時代を感じさせる。

 部屋の中央には手術台があり、患者の代わりに大量の肉片が載せられていた。手術台の頭側の所に、この場に不釣り合いな古木の丸太が置かれていたが、血塗れのこの部屋の中で不思議と汚れておらず、異様な存在感を放っていた。

 遺体は鑑識が回収を進めているが、まだ床には頭蓋から転び出た眼球や、切断された手指の切れ端などが落ちている。骨などの硬い組織や、肝臓のような軟らかくて脆い実質臓器まで鋭利な断面で細かく切り刻まれていた。志賀野は殺人事件を担当する捜査一課に配属されて10年以上経つが、このような遺体の切り口は見たことがなかった。事件現場の惨状に、やはりただならぬ異様な気配を感じる。

「……捜査の進み具合は、どうだ?」

 志賀野が警察の鑑識係の一人に捜査の進捗を訊ねる。

「遺体の損壊が激し過ぎて、なかなか捗りません。何しろ部屋中返り血と肉片まみれですからね。遺体の片づけをするだけで大変ですよ。こんなことを出来る人間がいるなんて、信じられません」

「ああ、本当だな」

 志賀野は相槌を打つ。確かに、どう考えても人間業とは思えなかった。

「警部!」

 別の鑑識捜査官が、志賀野に声をかける。

「どうした?」

「これを……」

 その鑑識捜査官は遺体の一部をビニール袋に入れたものを手に持っていた。ビニール袋の中には金属の取っ手を握りしめた右手の、手首から先だけが入っていた。

「被害者の遺体の一部だと思われます。古いメスの取っ手を逆手に握りしめているようです。驚くことに、メスの刃自体もスパッと切断されていますが……」

「被害者は死ぬ瞬間、メスを握りしめていたということか」

 ビニール袋を持った鑑識捜査官がうなずく。

「他に、何か手がかりになりそうな物はあったか?」

「いえ、やはりこの散乱ぶりですのでなかなか……。引き続き、迅速に捜査を進めるように努めます」

「そうか。大変だとは思うが、頼むよ」

 そう言うと、志賀野は手術部外の人間の事情聴取のために立ち去った。しかし、旧・手術室の捜査はすぐに立ち行かなくなることとなる。何故なら、次々と新たな惨殺死体が、息つく暇もなく発見されることになるからだった。

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